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『映画 ゆるキャン△』感想覚書:あの頃の未来にぼくらは

 言わずと知れた大人気作品のアニメ映画版。

 劇場鑑賞した時は勿論、先日にアマプラに入ったので再見した時も少しも魅力が衰えない本作の地力を再確認した。

 以下、改めて感想を書いておく。

 

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 <あらすじ>

 『ゆるキャン△』本編から時は経ち、成人した野外活動サークルのメンバー達はそれぞれの進路を歩んでいた。そんな中、志摩リンは山梨の観光推進機構に勤める大垣千明から山中の廃施設をキャンプ場として再生する計画を持ちかけられる。

 各務原なでしこ、犬山あおい、斉藤恵那も合流し、試行錯誤しつつもキャンプ場作りが進んでいくが……

 

 冒頭で描かれる大人になったリンの生活。彼女が暮らしているのが名古屋ということで、愛知県出身の自分としては最初から否応なく心を掴まれてしまった。名古屋駅前の螺旋状モニュメントやジュンク堂書店等、自分が慣れ親しんだ景色がそのままフィクション世界の中にある感覚は良いくすぐったさがある*1

 そして野クルメンバーが再集結していく様子を鉄板の「同窓会もの」として、そしてキャンプ場作りの計画立案・野外作業を「鉄腕DASH」のようにゆるゆると楽しんでいたのだが、話が進むにつれて本作のテーマが浮上してくると「おっと、これは……?」と居住まいを正すことになる。

 

 そのテーマとは、「時間」だろう。

 本編から何年も経った後のIF時空というこの映画の前提からして、高校〜社会人の間の描かれてない時間を野クルメンバー達がどう過ごしてきたのかという想像の余地を生み出している*2

 そして彼女達が作ろうとするキャンプ場の場所は、元々は地域の自然センターだった。経営が上手くいかず閉鎖されていたのを、観光推進機構が再開発することになったのだ。キャンプ場開発は野クルメンバー主体で進めるが作業のコツは地元農家から昔から培われたノウハウを教えてもらったり機材を貸してもらったりする場面がある。そして開発の内容も、センター跡を一新するのではなく元々の地形や構造物を残して利用するものになる。

 

 このように、「それまでの時間、元からあったもの」=「過去」を上手く活かす・魅せるかたちにしているのが映画前半だ。では、「これからの時間」=「未来」は?

 

 本作の上映時間120分の折り返し地点にあたる60分頃に、恵那の飼い犬ちくわが登場する。彼女が高校生の頃は元気いっぱいだったちくわだが、映画の時点ではもう老犬になっており、歩みは遅く走っても息が続かない。作品のマスコットキャラとして可愛く描かれているのは変わらないものの、寿命が近づいていることが明確に示されている。

 そのちくわがキャンプ場の敷地から発見した土器の調査のため、開発作業が一時ストップする。そしてそれが縄文時代の遺跡からのものと分かり、大規模な発掘のためキャンプ場計画自体がほぼ廃案になってしまう。それにともない、キャンプ場作りをレポートしていたリンのタウン誌連載も休止する。

 また、同じくして小学校教師のあおいが働く学校が今年度までで廃校になることも明かされる。詳細な理由までは伏せられているが、おそらくは典型的な少子化によるものだろう。そもそも映画序盤でリンと大垣が会食をした際に、地域がだんだんと寂れていっていることが吐露されていた。

 ちくわの寿命しかり地域の衰退然り、作品世界自体の「未来」が暗く不穏なものである様子……劇中の科白を借りればその寂しさが示され、さらに「過去」を上手く再利用するキャンプ場作りも縄文時代というより大きな過去の出現よって頓挫してしまう。過去と未来の両面から映画自体が追い詰められていく様が『ゆるキャン△』の優しく朗らかな作風の下限ぎりぎりのシビアさで描かれる。各キャラが大げさに悲嘆に暮れるようなことはせず大人しく現状を受け入れようとするだけに、その障害の強固さがより説得力を持つ。

 

 それを覆すきっかけになるのが、なでしこが勤務先のアウトドア用品店で来客の高校生達に接する場面だ。彼女は自身もキャンプを始めた高校生の頃を改めて思い出す。そして若干ワーカホリック気味になっていたリンと温泉に出かけ、そこで自分達が大人になって広がった可能性と限界を共有し、楽しかった高校時代を反芻し、これからまだできることの模索を決意する。

 ここで二人は現状を阻むモノと化していた過去・現在・未来を改めて自分達の視線で一気に見つめ直しているのだ。湯に浸かりながら穏やかに語らうシーンではあるが、「時間」への視点が縦横無尽に動くダイナミックさが込められている。

 

 そして大垣とあおいによる実務的な準備により、新たなキャンプ場計画が再始動する。その内容も、野クルメンバーが遺跡発掘に協力しつつ、キャンプ場の施設に遺跡展示や縄文体験イベントを組み込むという、遺跡(過去)と新キャンプ場(未来)を上手く融合させたものだ。また、その案をプレゼンする際に野クルの作業風景を撮り溜めた映像素材(現在)を使うという仕込み。

 再びキャンプ場作りが進む中でも、また地元農家のノウハウ披露のシーンがあったり、廃校になったあおいの小学校の遊具をキッズエリアに持ち込んだり、リンのバイクが不調になった時に高校生時代に乗っていた原付を引っ張り出してきたりと、「過去」を「未来」に繋げていく様子が改めて描写される。

 極めつけが、なでしこがキャンプ場の来客に縄文時代の住居跡展示を案内した際に客が発した「大型テントくらいの広さね」という科白だ。ここで過去・現在・未来が完全に接続され、『ゆるキャン△』という作品自体の「キャンプ」というコンセプトの真芯を捉える。作中のキャンプはリンやなでしこの視点を中心に趣味・レクリエーションとして描かれているが、リンのキャンプ技術や移動するためのバイクは彼女の祖父から伝えられたもので、本編ですでに時間を超えて繋がる縦軸が確かに存在していた。そして本作の終盤でその縦軸が「キャンプ」≒「縄文時代の暮らし」というスケールアップを果たす。キャンプとは縄文時代から続く人間の原初の営みをテントで寝床を作ったりイチから火を熾こしたりといった野外活動によって現在に再現することでもあると。そしてそのキャンプの場所や道具・技術が人から人へ伝えられていくことで、それは未来にも残っていくのだ、と。

 こうした作品テーマの拡大と着地を「時間」を軸に達成してみせた本作は、漫画作品のアニメ映画化として一つ抜きん出たものになっている。

 

 このハッピーエンド的なストーリーは見せ方のマジックで*3、地域の過疎・少子化やちくわの寿命等の根本が解決されたわけではない。いつか本当の終わりが来るであろうことは全く否定されていない。それでもまだ今すぐ終わるわけではないし、残っているものやこれから育っていくものがある限りは前へ進んでいこう……という相当に現実的な落とし所なのだ。

 ラストシーンで、また年越しに皆で集まろうと言うなでしこにリンは確約せずに「考えておく」と答える。それは彼女らしい言葉であり、未来の不確かさを拭い去り切らない作品全体のトーンが素晴らしい締め括りであったように思う。

*1:ちなみに名古屋駅前のモニュメント「飛翔」は、30年ほど存在してきたが、ちょうど映画公開と同時期の2022年7月に駅前の再整備等の理由で撤去された。「飛翔」は「過去から未来への発信」をコンセプトとして縄文土器の縄が縒り集まる様子をイメージして設計されていたとのこと(名古屋観光情報サイトより)。実はこれ以上なく映画のストーリーと呼応した物だったのだ。

*2:特になでしこが天真爛漫な性格は健在であるとともに年相応の落ち着きを見せる場面もあるのが積み重なった時間を感じさせるし、孤高のアウトドア志向だったリンがどんな考えの末にデスクワークの会社員勤務を選んだのかは相当気になる

*3:見せ方といえば、本作は映像演出も光るところが多い。原作はパースを過剰までにいじった魚眼風アングルが持ち味だしTVアニメ版は実際のロケーションをアニメに取り込む聖地化に成功していたが、この映画版ではキャラの心情を風景に映す手法が効果的に使われている。キャンプ場計画がストップする際は曇天が多くなって画面も暗い色調になり、計画が再始動すると夏の日差しで色味が明るくくっきりしたものになる……というように、野外シーンが多い本作だからこその仕掛けが活きている。