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『トップガン マーヴェリック』感想覚書:米海軍追放寸前の伝説パイロット、トップガン教官として若者達を無双スキルで修行させます!?〜親友の息子と和解、元カノとも復縁しちゃうかも〜

 自分がトム・クルーズというハリウッドスターを認識したのはいつのことだったか。

 彼の出演作を初めて観たのは確か『宇宙戦争』だったが、その時は演じている役者のことには無関心で、ムービーウォッチメン伝いに鑑賞した『オール・ユー・ニード・イズ・キル』がトムをトムとして意識して観た最初の記憶だったと思う。

 その時にはトムはもう50代に入っていて、軽薄な中年男が重そうなバトルスーツをつけて何度も死にまくるというトンチキな映画だった。話も話なので初見のトムは決してストレートにカッコ良くはなくて、情けなく弱音を吐きながら必死に戦場を転げ回る。しかしそれでも尚隠せないスターの華……というか「愛嬌」を感じたのをはっきり覚えている。

 その後彼の私生活や入信している宗教等の醜聞を知ることにもなるが、スクリーンの中で誰よりも体を張って映画を面白くしようとする姿には否応なく好感を持っていった。

 

 そして今回の『トップガン マーヴェリック』である。

 最初はほとんど何も前情報無しで臨み、その後IMAXで2回目を観て、そしてやっと1作目『トップガン』を観て今に至る。その上での感想を以下に。

 

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 〈あらすじ〉

 アメリカ海軍のエリートパイロット養成学校トップガンに、伝説のパイロット、マーヴェリックが教官として帰ってきた。空の厳しさと美しさを誰よりも知る彼は、守ることの難しさと戦うことの厳しさを教えるが、訓練生たちはそんな彼の型破りな指導に戸惑い反発する。その中には、かつてマーヴェリックとの訓練飛行中に命を落とした相棒グースの息子ルースターの姿もあった。ルースターはマーヴェリックを恨み、彼と対峙するが……。(映画.comより)

 

 「冒頭の戦闘機の発艦・着艦風景」「バーで絡んだ人物とトップガンで教官として再会する」「ビーチスポーツ」等日々、本作は1作目の大筋や個々の場面をなぞりつつ時に人物の関係を入れ替えて進行する。しかし決定的に異なりグレードアップしているのが、戦闘機で飛行するシーンの数々だ。

 1作目でも米海軍の協力はあっただろうが、それでも俳優が実際に戦闘機を駆るわけにもいかないので、飛行する戦闘機を外から捉えた絵面と機内のパイロット達の描写が断絶していたり飛行によってGがかかる様子はカメラ自体の回転でごまかしていたりと、どうしても撮影の限界が垣間見えていた。

 それが今回では、役者としてだけではなくプロデューサーとしても権限を得たトム・クルーズによってパイロット役の俳優達に軍の飛行訓練プログラムが課され、「飛行シーンでは実際に俳優が搭乗して演技をする」するという状況が実現してしまった。カメラは音速で過ぎ去る風景を、音響はエンジン音や風鳴りを確かに捉え、そして俳優達は戦闘機の縦横無尽の機動による現実のGを受けて迫真の演技どころではない本物の苦悶の表情と息遣いを残す。これによって1作目とは段違いの臨場感が生まれている。

 

 そうしたスペクタクルだけでも鑑賞料金のお釣りが返ってくるところだが、自分がこの映画に感心したのはそれ以上のストーリー構成のスマートさだ。

 本作のクライマックスでは訓練ではない本物の極秘ミッションで目標施設の爆破・敵機との空中戦が描かれる。いかに飛行シーンの迫力が凄まじくても、戦闘のシチュエーションの見せ方が拙ければ何が行われているかも分からずカタルシスを感じることもなくなってしまうだろう。

 その危険に対して本作は、どうしているか。序盤で作戦内容を明らかにして中盤をほぼひたすら訓練場面に費やすことで「作戦がどんな地形・ルート・手順で実行されるのか」を執拗に観客に刻み込む。そしてトップガンの訓練生達がシミュレーションでは何度も失敗してしまうことでその作戦がいかに実行困難かも示され、果たして本番で彼らは生還できるのかというサスペンスも高められていく*1

 また、飛行以外の場面では引きの画があまり無く、登場人物の顔のクローズアップががかなり多い。それによってヘルメットとマスクでパイロットの髪や顔の下半分が隠れる機内でも誰が誰だか区別できるようになっている*2

 そうして映画の大半の時間が「本番」に向けた観客にとっての「訓練」に割かれているために、いざクライマックスで目まぐるしい空戦アクションが繰り広げられても極力混乱せずに展開を追うことができるのだ。こうした作りはジャンルや規模は全く違えど山田尚子監督の『リズと青い鳥』を思い出したりした。

 莫大な予算と手間をかけてただ一個の映画として観客をフルに楽しみ切らせようという、極限まで無駄を削ぎ落としたまさに最新鋭の戦闘機のような作品だった。

 

 ただ全く瑕疵のない映画というわけでもなく。

 『トップガン』1作目の冒頭で印象的なシーンがある。若き日のマーヴェリックは洋上でミグ戦闘機と空中戦を繰り広げる。彼は戦闘の最中敵機のコックピットと数メートルの距離まで接近し、ポラロイドカメラで相手の写真を撮ってみせる。これは彼の天才的な操縦の腕や恐いもの知らずな性格を見せつけるものだが、ある意味彼が敵を人間として捉え、相手が何者なのかを知ろうとした行動だ。そしてクライマックスの戦闘はあくまで味方の救出・防衛が目的であり、こちらから先制攻撃はしないというものだった。

 それが今作では、「ならず者国家」の違法核施設を破壊するという名目で交渉も何もすっ飛ばして予告無しの空爆を仕掛けるというクライマックスになっている。マーヴェリックは敵パイロットの姿を知ろうとする素振りも見せず、敵基地に生身で乗り込む際には現地の軍人達は雪煙に紛れて都合よく見つけられない。

 前作でも今作でも作品のシンプルなエンタメ性のために敵を明確に描写しないという方針は変わっていない。しかし今作ではそれをより純化し突き詰めた結果、よりプロパガンダ的・自閉的に傾いてしまったのは事実だろう。

 

 もちろん、トム・クルーズはじめ制作陣はそんなことは百も承知でこの映画を「都合の良い夢」に仕上げることに全力を尽くしているのだろう。

 実際、この物語はマーヴェリックの夢なのでは?と思わせるポイントが二つある。冒頭の新型戦闘機のテスト飛行で限界速度を超えて空中分解した時、そしてクライマックスでルースターを庇って撃墜された時。

 あの瞬間にもうマーヴェリックは死んでしまったのではないか?という疑いがわざと残されている。そこから先の素晴らしい映画的瞬間の数々は彼が……最後の肉体派映画スターのトム・クルーズが、否、映画そのものが、もう今のままではいられなくなる臨終間際に観た夢だったのではないか、と……。

 

 

 

  

 

*1:訓練生達がシミュレーション中で何度も死亡しながら必死にスキルアップしていく様子は、それこそトムが死に覚えゲー的に強くなっていく『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を彷彿とさせた。

*2:逆にビーチスポーツに興じる若者達を全身を映すシーンでは彼らは皆サングラスをかけて顔の上半分を隠していて、ただ無邪気に躍動する肉体だけをスクリーンに残す。そしてマーヴェリックと元カノのベッドシーンでは二人の全身は映さずにほとんど顔だけをカメラが捉えていた。この対比に実は本作の本当に大事な何かが示されていると思うのだが、まだ語る言葉がない。