映画に親しんできた人ならば、鑑賞した数多の作品の中でもその物語や映像・編集といった全ての要素が自身にマッチしてしまい折に触れては何度も見返しているお気に入りの一本、というものがあるだろう。
この『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』映画版1作目は自分にとってまさにそんな作品だ。2021年夏にほとんど前情報無しに初鑑賞して衝撃を受け、一度ではとても受け止め足らず二度三度と劇場に足を運び、後にアマプラで配信が始まってからは少なくとも月イチで視聴している。
この作品の何がそんなに自分を惹きつけるのかを省みてみると、要因はいくつもあるがやはり一番は本作の主人公ハサウェイを中心に提示される動きのイメージの豊かさなのだと思う。
以下、その詳細を記してみる。
〈あらすじ〉
第二次ネオ・ジオン戦争(シャアの反乱)から12年。
腐敗が蔓延る地球連邦政府に対して過激な抵抗運動を行う組織「マフティー」。そのリーダーであるマフティー・ナビーユ・エリンの正体は連邦軍大佐ブライト・ノアの息子ハサウェイ・ノアだった。彼は作戦行動の途中で謎の美女ギギ・アンダルシアや連邦の軍人ケネス・スレッグと出会い、その運命を大きく変えていくことになる……。
(作品公式サイトより抜粋・要約)
物語は地球へ降下するシャトルの中で始まる。
特権階級専用のシャトル内には多くの連邦政府要人とケネス大佐、ギギ、そしてハサウェイが乗り合わせていた。そこへ要人達を人質にとって身代金を得ようとマフティーを勝手に名乗る偽物達が襲撃してくる。ハサウェイはギギに感化されて偽物達を見事制圧してみせる。
シャトルでの、宇宙での彼は超人的なまでのアクションを行うことができた。それは彼が偽マフティー達に対して(ギギの「やっちゃいなよ、そんな偽物なんか!」という啖呵を契機に)「本物」のマフティーとして行動したからだ。
しかし、シャトルが地球に降り立ちケネスに対して「僕はノア。ハサウェイ・ノアだ」と名乗ってからの彼は、本当に一般人の「ハサウェイ」として非常に精彩を欠いた動きしかできなくなってしまう。
空港のロビーでジンジャーエールを何度も飲み損ねることから始まり*1、ギギとの会話で終始翻弄されたりケネスに食事をつまみ食いされたりと、ハサウェイは自らの行動を常に阻害される場面が続く。
極めつけはダバオのホテルが攻撃を受けてからの展開だ。彼はギギを守って戦場となった市街地を逃げ惑うことになるが、巨大な人型兵器としてのMS(モビルスーツ)達が戦う下で彼らはあっちへ逃げこっちへ逃げと終始受け身のアクションしか取ることができない。
そして彼の乗り物に関係した描写も注目だ。
シャトルの場面から始まった本作だが、地球に降りてからもハサウェイが乗り物に乗るシーンがとても多い。空港からタクシーでホテルへ向かい、植物園での隠密行動後も市街をタクシーで移動し、宿を変えてからは軍用車両でフェリー乗り場近くへ送ってもらい、そこからはヨット、クルーザー、飛行機を乗り継いでマフティーのアジトへ。そしてアナハイム社からの「援助」を空中受領するためにロケットで打ち上げられ、部下の操縦するMSに同乗する……。
これでもかというほど乗り物のシーンずくめだ。そしてその全てで彼は自分で運転することはせず他人に任せている。これも彼が移動というアクションの主体性を失っていることの表れだ。
強いて言うならホテルでエレベーターに乗る場面が彼自身で乗り物を動かすものと捉えれないこともないが、数回あるそのシーンではいずれも彼がボタンを操作する手元がドアで隠れるアングルだったりボタンを押した直後に他者から割り込みを受けたりと、やはり彼の「運転」は執拗に否定されている。
フェリー乗り場から海辺へ徒歩で向かう場面では彼の足取りは何とものろのろとした頼りないアニメーションで以て描かれ、乱暴な運転の車に危うく轢かれそうになるのはこれ以上なく象徴的だ。
こうした数多の描写から観る者にはハサウェイが自由にアクションできないことへのフラストレーションが自然と溜め込まれていく。そして部下のMSから宇宙空間のポッドに移った彼が改めて「マフティー・ナビーユ・エリン」に成ることを決意し、専用MS「クスィーガンダム」に乗り込んでからはそれが一気に解放されることになる。
そもそも本作のMSは、迫真の演出によって恐ろしい巨大兵器として描かれている一方で、地球上では付属のホバー機やバーニアの噴射によってしか空中を移動できない不自由さも念入りに示されている。その中にあってマフティーのクスィーと連邦側の新MSペーネロペーの2機ののみがミノフスキー・クラフトという技術によって自在に飛行することが可能になっている。
それまで偏執的にアクションを封じられてきたハサウェイ/マフティーがいよいよ作品主人公として「ガンダム」を手にして他のMSを置き去りに闇夜を縦横無尽に飛び回るシークエンスは、それがさんざん描写されてきた周りに危害をもたらす凶悪なモノである事実ともあいまって、背徳性も込みでの激烈なカタルシスが発生している。
ガンダム同士が戦うクライマックスを終えた後、ハサウェイはガンダム降りて再び凡庸な歩みで船のデッキ上を行く。カメラはハサウェイの後ろ姿からパンして彼がいずれまた飛翔するであろう地球の空を映し出し、それがラストシーンとなる……。
以上のような、ハサウェイという主人公の「移動」の移り変わりという広義でのアクションを貫徹して描いてみせた本作が、自分は好きでたまらないのだ*2。
続くシリーズ2作目にもクリアな手腕を期待したいところ。