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映画と共にあれ――『スターウォーズ エピソード9 スカイウォーカーの夜明け』感想

【注意】本記事には『スターウォーズ エピソード9 スカイウォーカーの夜明け』のストーリー・結末に関するネタバレがあります。

 

 本ブログの「映画」カテゴリ記事1発目がこれって、どうなんだろう。

 さすがに畏れ多い。

 しかし本作を観て「映画って、映像作品って何だろう」と自分なりに思うところがあったので、そういう意味ではぴったりなのかもしれない。

 

 以下、感想。

 

 

 2015年から始まった『スターウォーズ』シリーズ続三部作、通称「シークエル」。

 自分のシリーズへの立ち位置としては、最初の三部作の頃は生まれてもおらず、新三部作は幼少期にTV放映していたのをチラッと観た程度。その後も過去作はエピソード4(以下、ep~)しかちゃんと観れていない。

 リアルタイムでスターウォーズを劇場鑑賞できたのはこのシークエルが初。合間のスターウォーズ・ストーリーは『ローグ・ワン』を鑑賞済み*1

 そういう、シリーズに対してだいぶ半端な鑑賞歴の人間の感想だと前置きさせてほしい。

 

 そして本作ep9、公開直後の12月は何かと忙しくて観に行くヒマがなく、1月も半ばになってようやく劇場へ。

 今やep9への賛否両論……というかかなり否が多めの感想が流れてきてしまっていて、だいぶ期待値を下げて鑑賞に臨むことになってしまったわけだが。

 

 ――結論から言って、すごく良かった。

 一から十まで全面肯定ではない。全然ない。減点方式なら0を突き破ってマイナスの底無し沼に沈んでいってしまう……とまでは言い過ぎか。

 けれどそれを補って余りある美点が自分に突き刺さってきたのだ。良い。超好き。

 

 何が良かったって、レイとカイロ・レン(ベン・ソロ)のドラマとしての決着と、そこをめぐる演出の手つきだ。

 

 ep7の時から、とにかくあの二人の関係性がツボで。

 片や出自が不明なことによる心もとなさに悩まされ、片や重大過ぎる出自を負わされたが故に人生迷子になってしまい、そんな二人が終始張り詰めた顔でライトセーバーをぶつけ合う様がいじらしくてたまらなかった。

 ep8では彼らのドラマがさらにクローズアップされて、一時共闘するものの最後にはまた道を違えてしまうという結末に心震わされ。劇中で二人がフォースによって交信する模様を同一画面上でCG等を使用してではなくカットバックによってつなげるというライアン監督の剛腕に驚かされたわけだが、それが今回のep9でも受け継がれ、さらに物語全体のテーマとも呼応していた。

 

 まったく異なる場所にいる二人を交互に映す。カットを飛び越えて会話がなされる。激高した二人がふっと同フレームに収まり斬り結ぶ。

 空に飛び立っていく機体に彼女が手をかざす。機体が止まり、彼女に引き寄せられる。彼も手をかざす。機体は二人の間で綱引き状態になる。彼女の手からエネルギー波のエフェクトが伸び、機体は爆散し均衡が破られる。

 離れた地点でそれぞれ戦う二人。徒手空拳彼。彼女の手に握られたライトセーバーの柄。次のカットで彼女の手には何もなくなり、彼の手にそれが出現する。

 etc、etc。

 

 編集、CG、特殊撮影。

 本来は時間的に空間的に断絶している二人を「繋ぐ」ものとして、それらの技法が用いられている*2。本能的に惹かれ合う彼らの心情を表すかのように、非常にシンプルで大胆な演出で。子どもの目にも「これは映像上のトリックですよ」と分かるであろう明白な見せかけ。

 映画界を背負う一大コンテンツの現状最終作での演出としてはさすがにストレートでチープ過ぎるかもしれない。それでも、映画という映像メディアの原初的魅力に立ち返るような本作の姿勢に自分はすっかり絆されてしまったのだ。

 

 そうした空間を越える「繋がり」演出を徹しているからこそ、レイとレンが直にふれ合うシーンの尊さがより際立ってくる。

 致命傷を負ったレンをレイが抱きかかえ、必死の表情で傷に手をあてる。すると痛々しい傷が次第に癒えていき彼は蘇生する。そしてラストでの反復。やはり愚直なまでに正面きったそのシーンの映し方と対称のさせ方には胸が熱くならざるをえなかった。

 その「ふれ合い」「繋がり」は彼ら周りだけでなく、本作全体にも波及している。

 

 劇中、レジスタンスの一人がファーストオーダー達のやり口を指して、「奴らの狙いは俺たちに孤立していると思わせることだ」という旨の科白を発する*3

 それは終盤にも反復され、レジスタンスは銀河中の人々が結束することを信じて決戦の舞台へと出撃していく。その場面では戦士達が握手を交わし肩を叩き、抱きしめ合う様がほぼワンカットで映し出される。 

 そしてクライマックス、敵の物量にレジスタンスが負かされようという瞬間に果たして宇宙の星々と見紛うほどの民間も含めた増援が到着し、天秤は勝利へと傾いていく。

 戦いが終わった後、人々は互いを称え合い、泣きつつ笑いつつ再び抱擁を重ねる。

 

 その光景は架空の物語のものではあるのだが、同時に続三部作の終結を歓ぶキャスト陣そのものでもあったと自分には思えてならない。

 シークエルは決して文句のつけようのない傑作シリーズにはならなかった。三部作を通じてのストーリーはあまりに行き当たりばったりで段取りじみて、舞台裏の迷走が透けて見えていて。各キャラの描写も作品の間で整合性がとれておらず、結局出番の意味が無くなってしまった者も多すぎる*4。総体的に過去作を意識するがあまり新作としての独自性を見失ってしまった。

 そんな風に、作品内外でゴタゴタ続きで、何もかも中途半端で出来損ないの負け戦だったかもしれない。それでも私たちどうにかやりきったよね。終わらせたよね。とにかくお疲れ様!的な。

 この虚実の融け合ったラストに、ただ人々がふれ合っているだけが映し出されているスクリーンに、ちょっと泣きそうになっている自分がいた。

 

 映像技術が爛熟し、画面をいじり放題で死者さえも墓場から引っ張り出して傀儡化できる今の時代だからこそ、その意味と意義に満身創痍ながらも誠実であったシリーズに拍手を。

 そしてまたいつか、遥か彼方の銀河系で。

 

*1:『ローグ・ワン』はまた本編シリーズとはまた別軸で大好きだし傑作だと思ってます

*2:つまりは映画という嘘を支えるテクノロジーのメタファーが「フォース」なのかもしれない

*3:ここがうろ覚えで申し訳ない

*4:ep8でフィンがローズと良い感じになったのにep9では彼女を置いてけぼりにして別の女の子と同じような展開をやっているというのは、さすがに擁護の余地がない